大和朝廷の時代、初代安積国造となった比止弥命が造ったとされ、1683年に赤木町から遷都されました。坂上田村麻呂が八幡大神をお祭りし、旗と弓矢を奉納したことから”八幡様”の愛称で親しまれています。第55代宮司安藤親重の三男に生まれた儒学者・安積艮斉の記念館もあります。
堂前町にある如宝寺の境内には、東北最古の「石造笠塔婆」や「板石塔婆」、また上部に施される乳がないことから「いぼなし鐘」と呼ばれている「銅鐘」など数多くの古碑があることで有名です。
本町1丁目にある熊野神社は、宿場町のころ、馬宿や馬旅籠と呼ばれる馬の休み所があったといわれています。境内には重要文化財の石造浮彫阿弥陀三尊塔婆があります。
正式名を光明山悟真院善導寺といい、何度か大火に遭い、焼失しました。
現在の本堂は、京都大谷派本願寺阿弥陀堂や東京築地本願寺本堂の建築などに関わった名工・伊藤平左衛門が大工棟梁として上棟されました。
大町2丁目の雑踏の中にある阿邪詞根神社は、源義経に仕えた平忠道が祀られ、別名「総産土神社」、「うぶすなさま」と呼ばれています。この「総産土」とは土地を守る神様のこと。夏には近所の子ども達が集まり祭りが行われます。
一帯が小高い丘になっており「愛宕山」と呼ばれていた愛宕神社は、「愛宕山の秋の月」と言われるほど境内から望む秋の月が美しく名勝となっていたそうです。境内社には赤穂浪士の物語につながるといわれる妻恋稲荷や具合の悪いところをさすると治るという「身代わり大黒様」があります。
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